大和郡山お城まつりとは
大和郡山お城まつりのはじまり

昭和36年(1961年)、時の観光協会会長、広瀬元次郎氏が、城址の天守台始めそのまわりの石垣の中に多数の石仏、墓石が積込まれているのを知り、これらの石仏並びに城史有縁の諸霊を慰めることが、大和郡山市の発展につながると考え、自ら陣頭に立って市民有志より浄財をあつめ、天守台を取り巻く「数珠くり法要」を始めました。
最初の年は5月5日子供の日に行われましたが、次の年からは明治40年(1907年)以来、桜花の開花期に毎年開催されていた金魚品評会に合わせて行う事になりました。そして今日まで古い伝統と歴史のあるいろいろな行事が、4月の上旬に集中して催されるようになりました。

御殿桜は天正13年(1585年)大納言豊臣秀長が姫路から郡山へ入部、多武峰の談山神社を城北に遷座、その堂宇と供に多武峰にあった桜樹も城内に移したのがその始まりと伝えられています。
享保9年(1724年)柳澤吉里が甲府より郡山に国替えとなり、入城してから桜樹の補植があって、そのとき以来毎年春の開花期には、藩士や町民達の楽しみであったといわれています。
やがて明治となり城郭が全て取り払われたが、旧藩士達が明治13年(1880年)本丸に藩祖柳澤吉保を祀る柳沢神社を建てて、その周辺に旧藩邸の桜樹を移植し又更に数百株を補植しました。そして毎年、かがり火をたき春宵一刻を 楽しむようになりました。これが夜桜の始まりであり、その後明治44年(1911年)に至り、 樹齢も次第に老境に入り花の姿も衰えてきたので、当時の町長三木忠方は、町民に呼び掛け寄付金を募り桜樹3000本を新しく城址一円に植えるとともに、かがり火を電灯(ぼんぼり)に替え、大正10年(1921年)大軌電車(現在の近畿日本鉄道)の開通により遠く大阪方面からも見物客が訪れるようになりました。
大和郡山お城まつりの主な行事
(注) 行事名をクリックすると画像を見ることができます。(新しいウィンドウが開きます。)
(注) 実施しない場合や変更の場合もありますので、詳しくは最新のお城まつりのページをご覧ください。
| 行事名 | 実施場所 | 見どころ | 備考 |
|---|---|---|---|
| 金魚品評会 (JPG形式 35KB) | 本丸跡 | 郡山といえば金魚。さまざまな高級金魚が一堂に会し、品評されます。明治40年(1907年)から、毎年4月上旬桜花満開の頃、柳澤神社で行われており、訪れる人たちの目を楽しませています。 | |
| 数珠くり法要 (JPG形式 60KB) | 天守台西側広場周辺 | 平成16年に大和郡山市が市制50周年を迎えたのを契機に、市民からの浄財によって数珠が新調されました。(全長162メートル・全重量648キログラム・直径15センチメートル・1,080個) | |
| 時代行列・ 白狐渡御 (JPG形式 52KB) | 市内巡行 | 昭和初期からの伝統を誇る『白狐渡御』。子どもたちが、白衣に狐の面をつけて、源九郎神社から白狐ばやしに合わせて市内を練り歩きます。源義経や静御前、戦国武将も登場する『子ども時代行列』も見逃せません。 | 雨天中止 (注)平成23年は中止します |
| 市民パレード (JPG形式 46KB) | 市内巡行 | 市内小・中・高等学校のマーチングバンド、警察音楽隊、地元各企業による多彩なパレードです。道路脇はたくさんの観衆で埋めつくされ、お城まつりを盛り上げます。 | 雨天中止 (注)平成23年は中止します |
| 藍染め体験 (JPG形式 29KB) | 箱本館「紺屋」 (外部リンク・新しいウィンドウが開きます) | 江戸時代から続いた藍染め商の町家を再生した箱本館「紺屋」。昔ながらの染料を使った『藍染め』で自分だけのアイテムを作ってみませんか? 詳しくは、左記リンク”箱本館「紺屋」”へ |
郡山城址桜マップ

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