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まちかどレポート380 郡山城天守台発掘調査現地説明会に行ってきました

考古学的に「天守台への登城ルート」が判明しました。
(平成26年9月29日掲載)

この日は800名余りの考古学ファンが見学に来られました。

9月19日、郡山城跡天守台の発掘調査報告会に行ってきました。

今回の郡山城跡天守台の調査成果は、豊臣秀吉公の弟である秀長公や豊臣五奉行の一人であった増田長盛が城主を務めた16世紀末の時代に、天守がたしかに存在したことを裏付けし、かつ、天守への登城ルート等も明らかになったそうです。

従来、古文書の大和郡山旧記等で天守の存在は確認していましたが、天守の存在を証明する遺物等が未発掘でした。ゆえに、今まで、豊臣政権期の城郭や天守等はよく分かっておらず、「大和郡山市の今回の調査・発見は重要な発見である」として全国的に注目が高まっています。

一般的に郡山城の天守は関ヶ原の戦いの後、京都二条城を経て淀城に移築されたとの説がありましたが、今回の発掘調査の成果では、絵図などに残る淀城天守の間取りが今回の発掘を通じて、具体的に一致し、裏付けが取れたそうです。

また付櫓台の地下からは、入り口に伴うとみられる石垣や礎石、地鎮とみられる土師器皿等を6枚納めた穴等が出土しました。あわせて、付櫓台の南面石垣にあったと想定される入口から付櫓に入り、天守へ向かったとみられることも判明したのです。 今後、「石垣が改修、天守台に展望施設が完備、天守台から奈良盆地が一望できる」ようになるそうです。

大和郡山市民として、市民の大いなる希望と夢が実現することを切に願います。

少し写真を撮ってきました。ご覧ください。

天守台から東方向をのぞむ
東方向。転用石の礎石や天端石の向うに城址会館、郡山城下が見渡せます。

天守台から北方向をのぞむ
北方向。郡山高校城内学舎及び天理教の建物群が目立ちます。

根石の様子
根石の立派さには目を見張ります。南北・東西に一個おきに大礎石を配置しています。

巴文の軒丸瓦
巴文の軒丸瓦。大坂城と同笵です。

金箔瓦
豊臣一族を象徴する金粉が付着した瓦破片です。

(まちかどレポーター 丸山)