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まちかどレポート513 「民俗博物館周辺の古墳巡りー再発見ウォーク」

 

矢田の古い神社には、遠い昔に「ニギハヤヒ」という名の若者がやってきて、この地の首長の妹の「ミカシキヤヒメ」と結ばれ、王になったという伝承が残されています。
ニギハヤヒは進んだ農耕技術を人々に伝え、二人はこの土地の人々の祖神になったというのです。

富雄川右岸の矢田から小泉の地域には、多くの古墳が築かれています。
小泉には100m級の前方後円墳(小泉大塚、六道山)もありますが、矢田の民博周辺の古墳は、多くは直系10m程度の小型の円墳で、ほとんどが未調査。
上の2枚の写真は城町周辺の柳谷の古墳群。富雄川の川岸に造られた古墳群は、遠い昔にこの川を辿ってやってきた人々の物語を伝えているのでしょうか。

今年の再発見のテーマは「古墳」。1回目の5月13日は矢田の民博周辺の古墳巡り。ここには大王級の古墳はないが、謎に満ちた伝承とロマンがあります。この日はあいにくの雨になりましたが、40人を越える人が奈良高専の前に集まられました。

【コース】 奈良高専前~割塚古墳~主人神社~民博周辺の古墳群~外川八幡神社

千日住宅地の真ん中にある割塚古墳、直径49mの大型円墳で、沖台川・富雄川の合流点の近くにあります。6世紀前半といわれますから、聖徳太子の時代から百年ほど前の古墳でしょう。
注目は出土品の金の耳飾り、美しい垂れ飾りがあり、朝鮮系の遺物といわれます。古墳に眠るのは朝鮮半島と交流のあった人物か、あるいは海を越えてやってきた人物でしょうか。

矢田寺に続く県道沿いにある主人神社で、祭神はニギハヤヒの妃になったという御炊屋姫命(ミカシキヤヒメ)。
この神社には、戦後まで未婚女子一人が忌篭りをして、神に仕えたという古式祭祀が残っていたそうです。社(やしろ)の背後の森には、今も古代の風習が眠っているようです。

民博公園の太谷古墳群を歩く皆さん。いつも健康のために歩いている公園内の里山は、実は古墳だったんです。

 

雨の中の城町の集落(左)と、外川の八幡様に向かう道。このあたりは富雄川の右岸に耕作地が広がっている所で、対岸の西の京の丘が遠くに霞んで見えていました。

その西の京の丘の上に出来た県立救急医療センターは、まるで西洋のお城のようで--、なんですかね、これは--、確かに郡山の新しい風景でしょうか。


(まちかどレポーター佐藤)