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まちかどレポート515 「額安寺近辺の古墳を巡るー再発見ウォーク」

 
額田部の額安寺(かくあんじ)さん、郡山を代表する寺院の一つ。
由緒書に、その始まりは聖徳太子の仏教の学問所で、ここは古代水運の要所、外国使臣や文物の上陸場所だったとあります。
太子の時代に大陸から渡来した文物といえば、仏教関係の品々、中には黄金色の仏像も。
それにラクダやうさぎ馬といった大陸の動物も、献上品としてやってきたと日本書紀には書かれています。
額安寺の前は大和川と佐保川の合流地点で、ここに川船の港があったのでしょう。異国の人々をもてなす迎賓館のような施設や、きらびやかな仏像を祀った道場、学問所などもあったのかもしれません。

額安寺は、奈良時代に額田寺という名前で、法隆寺のような伽藍配置の古代寺院だったことが知られています。上の二つの写真は江戸時代はじめに再建された本堂で、奈良時代の金堂の姿を今に伝える唯一のもの。
二つの写真に写る森は、鎌倉山古墳(左、径20mの円墳)と推古神社古墳(右、全長41mの前方後円墳)。
鎌倉山古墳は太子と同時代に築かれたもので、推古神社古墳はその百年ほど前、いずれにしろ額安寺の歴史が始まったころは、周辺に美しい古墳の姿があったのでしょう。

今年2回目の再発見ウォークは額田部にある額安寺周辺の古墳巡り。
初夏らしい天候に恵まれた6月4日(月)は、集合地の近鉄平端の駅には、80名ほどの参加者が来られました。

【コース】 近鉄平端~船墓古墳~鎌倉山古墳~額安寺~推古神社古墳~松山古墳~近鉄平端

再発見は毎回参加される方も多く、皆さん熱心にガイドの話を聞かれています。
 
左は額田部の古地名「介ケ峯」の残る常夜灯、右の降りて行く道は「鎌倉街道」、この先に八基の重要文化財の五輪塔が並ぶ「鎌倉墓」があるのです。
 
最後は額田部で一番古くて大きな「松山古墳」。
右の写真は撮影した所から反対の佐保川と浄化センターの風景、古墳が佐保川の広い川原の岸に築かれていることがわかります。
この古墳だけは発掘調査が行なわれて、直径52mの円墳、2段築成のテラスからは円筒埴輪列や家型の埴輪が検出されました。
古墳の築造は5世紀のはじめで聖徳太子の時代から二百年ほど前のもの、大和川の下流域に大王級の巨大古墳が次々に造られた時代です。
それは額田部の、長い歴史の始まりの時でもあるのです。

(まちかどレポーター佐藤)